書いていた記事がまるっと消えていました😭
通知も来ないし、はてな、また変になってる?
前回までのお話はこちら
これは私がRちゃんを支えてきた家族と実際に会って話を聞いた個人的な感想なので、これが正しいとか間違っているとかそういうことを言いたい訳ではありません🙇♀予めご了承下さい🙇♀
Rちゃんの自宅に到着すると、同居していたRちゃんの次男(私の従兄で5年ほど前に他界。M兄ちゃん)の奥さんと、近所に住むRちゃんの長男(私の従兄でC兄ちゃん)ご夫婦が待っていてくれました。
*R伯母さんとか長男と書いてみたのですが、それらの名称が馴染まないので、RちゃんとかC兄ちゃんという普段の呼称で書かせて頂きます。
【登場人物】
*母の長姉 Rちゃん
*Rちゃんの長男 C兄ちゃん(60代半ばくらい)
*C兄ちゃんの奥さん
*Rちゃんの次男 M兄ちゃん(他界)
*M兄ちゃんの奥さん(Rちゃんと同居。私は初対面)
デイサービスが好きだったRちゃん
92歳だったRちゃんはいつからかわかりませんが、デイサービスに行っていました。
家族の話だと、毎年冬になると酷い鬱状態に陥っていたのだそう。
しかし、デイサービスに通うようになるととても居心地が良かったようで、どんどん元気になって冬になっても全く鬱にならなくなったのだとか。
凄い!
で、結局、週に3回通所。
「ホント、デイサービスは様様だったよ!」
とC兄ちゃんは話してくれました。
もちろんデイサービスには合う、合わないがありますからね。
Rちゃんにとっては本当に居心地のいい場所だったのでしょうね。
家から外出することだったり、お仲間に会うことだったり、おしゃべりしたり、ゲームに参加したり、折り紙を折ったり(←この辺りの活動内容は私の想像)。
これらのことがRちゃんにとっては日常の楽しみであり、年齢的に体が徐々に不自由になっていく中で、生き甲斐だったのかなーと私は想像しながら聞いていました。
なんでも自分でやる!という強い意思
Rちゃんは持病があったのだけど、何でも自分でやる!という性格の持ち主だったようでした。
徐々に立てなくなってきていたけど、部屋の中を歩行器を使って歩いて物を取りに行ったり、トイレに行ったり…といつも側にいるM兄ちゃんの奥さんと通っていたC兄ちゃんの奥さんが「見ていてハラハラした!」と言っていました。
(大腿部骨折や圧迫骨折もあったそうです)
「そんなこと、私が代わりに取ってあげるよ?!」という小さいことでも、
「動かないと寝たきりになっちゃう!」と何でも自分で率先して動いていたそうです。
認知症の症状は無かったと言っていました。
私と姉は、「そうだよ〜お母さん!なんでも他人に頼っちゃダメなんだよ?」とヒソヒソ話をしていました💦
介護は一人でやってはダメという生々しい体験談
そんなRちゃんがいよいよトイレに行って用を足すのが難しくなって来た頃、施設に入ることを3人は考えたそうです。
でも「どうしても家で暮らしたい!」という本人の強い希望と(自宅はRちゃんが必死に働いて自分で建てたお家)、近所に暮らしているC兄ちゃんの「どうしても母を最期まで家で面倒をみたい!」という希望があって、3人体制でトイレ介助をすることを決意。
C兄ちゃんは早朝のトイレの介助のためにRちゃんの家へやってきて、その後仕事へ行き、仕事中も2時間おきにトイレ介助のために会社を抜け出していたそうです。
何ヶ月も。(会社は大丈夫だったのかしら?🤔)
一日の最後は22時過ぎのトイレの介助だったそうです。
「あんなに狭いトイレに3人で介助に入って、一人は体を支えて、一人はパンツを下ろして、一人はお尻を拭いて…」
と3人は笑っていました。
(あとでトイレをお借りしたら、マンションの我が家のトイレよりもこじんまりとしていました。)
会話のイニシアティブを取ってくれていたC兄ちゃんの奥さんが、
「介護は絶対に一人でやっちゃダメ!
ほんとにそう思う!
声を大にして言いたい!
ね?!」
と他の2人に同意を求めると、首が取れそうなくらい2人とも頷いていました。
体力的なこともそうですが、介護者のメンタルがやられる話も聞きました。
(私は踏み込んで質問出来る立場になかったので、より詳しい事は聞けませんでしたが…)
なんだか私と姉(と父)に言われているようで、私たちも顔を見合わせてうんうんと強く頷きましたが、ケアマネさんやヘルパーさんなど外部の人を頼ることも施設を頼ることも非常に大事なんだと思いました。
(父は頼る気満々😎)
入院してもコロナで会えない
その後、足のむくみが酷くなり、足の色が紫になってしまって…などなどの色々な不調によりRちゃんは入院することになりました。
コロナで面会が出来たのは入院した10日後だったそうです。
*当時、再びコロナが猛威をふるっていた北海道。私が行った頃も他の親戚の地域は非常に深刻な状況でした。
たった10日後だったのに、もうRちゃんは別人のように変わっていたそうです。
「認知症がなかったから、どんどん病院で弱ってしまって、母はすごく辛かったんじゃないかな…」
とC兄ちゃんは呟きました。
ひとり残された奥さん
約5年前息子を突然亡くしたRちゃんと、残されたM兄ちゃんの奥さんは互いに心の支えとなって仲良く生きてきたようでした。
ちょうど昨日、荼毘に付されたRちゃん。
M兄ちゃん亡き後、Rちゃんを支えることで必死に生きてきた奥さんが、このお家にひとり残されてしまいこれからが心配だとC兄ちゃん夫婦は奥さんを気遣っていました。
M兄ちゃんの話をちらっと奥さんに振ると涙ぐんでしまい…
私もつられて2人で部屋の隅のほうで泣いていました(私たちは初対面)。
とても控えめな方で、その慎ましい姿が「大変だったけど一生懸命楽しんで生きてきました」と語っているようで、私の心の琴線に触れたのでした。
3人のお互いを思いやる姿に感動
話を聞いていると、3人が3人ともお互いを労い、感謝し合い、支え合ってきた絆の強さや深さを感じ、なんだかとっても感動してしまいました。
思い出すと涙が出てくるくらい素晴らしいバランスとチームワークだったように思います。
実際に介護をしてきた人の話を間近で聞くことがなかなかない私たちだったので、その後の温泉で、姉と
「ずーーーっとあの3人の話を聞いていたかったね」
としみじみしました。
*つい先日、初めてメールで父と姉にブチギレしたまだまだ至らない私です😂😂😂
𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。
長くなったので今回はここまで。
非常に読みにくくてゴメンナサイ🙇♀
まだ続きます。
毎日ご飯
最近、夫のお客様や実家から大量の夏野菜を頂く機会に恵まれ、ますますスーパーへ行かないチャレンジは続いています。
合挽き肉で麻婆茄子にしようとしたけど、キーマカレーにしました。
ベランダのキンギョソウがまだどうにか咲いてくれています♪
最後までお付き合い頂き、どうもありがとうございます。
電気代が怖いですが命のほうが大事なのでなるべく涼しい環境でお過ごし下さい!
(ᐢ⌔ᐢ)ノ゙
応援よろしくお願いしまーす♫
いつもはてな⭐やひと手間をどうもありがとうございます⸜(*ˊᗜˋ*)⸝⋆*
ブログ村からお越しの方々もいつも感謝です!