見えない何かと戦うブログ 毎日のわくわくの正体

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命の選択

2024年4月24日午後3時半頃

私は和室に布団を敷いて横になっていると、リビングのソファで何度も寝返りを打っている母の様子が気になって見に行く。

外は雨で部屋はものすごく暗かった。

暗い中、「どうしたの?大丈夫?」と声を掛けると

「うん…?」と言って立ち上がろうとするも、立ち上げれずソファに尻もちをつくように座る。

「どうしたの?トイレ?」と聞いても、

うん、だか、うーんだか言って、確か再び横になる。

私も和室に戻って、その後はぐっすり眠ってしまう。

 

午後5時40分頃

目が覚めてリビングへ行くと部屋が暗い。

母のお昼寝は回数は多いが長くはない。

こんな時間まで寝ているなんておかしいと思い、急いで電気を付けて顔を覗くと、口の端から血液の混じった唾液が流れ出ていた。

 

すぐに救急車を呼ぶ。

 

私はランチで食べた魚介の中に加熱したホタテが入っていたのが気になっていたので(加熱はOKだが生はNG)、もしかして食中毒かも?とその時は思った。

 

約6分後、救急隊員の方が家に入ってきた。

私はホタテの話をしながら、母の顔の横に洗面器を持ってきていた。

そのままシートに母を載せ、救急車へ。

 

お薬手帳や保険証やペースメーカー手帳を見せながら、救急隊員の方の質問にどんどん答えていく。

「どこか希望の病院はありますか?」

と聞かれても、通院先の病院は救急対応はやっていない。

お任せすると3次救急の病院への搬送が決まった。

 

昨年一緒に買いに行ったビオラ
左は珍しく母自ら選んだ色

 

救急車の中、段々救急隊員の方の様子が緊迫してきているように感じた。

母は最初は目を強く瞑ったり、少し目を開けたり出来ていたのだけど、徐々にそれも出来なくなってきていた。

ガタガタと揺れる救急車の中で、付き添って下さっている男性の隊員の方にこう言われた。

「このあと10分か15分で病院に着きます。

その後、15分くらいでCTなどを撮ると思います。

それから、あなたは選択をしなければならなくなると思います。」

 

この言葉の後、もしかすると何か言われたのかもしれないけど、よく覚えていない。

私はここでようやくはっきりと、

食中毒なんかじゃない。脳だ!脳に問題があるのだ!と気付いた。

 

約30分で選択?

それって延命治療がどうとか言う内容のこと?

さっきまで一緒にご飯食べて、お喋りしていたんだよ?

 

「姉に電話してもいいですか?」と聞くと、

「むしろ今ここですぐに電話して下さい!」と言われた。

 

昨年からハマっているオルレアのホワイトレース(自宅にて)

たまたま自宅にいた夫には救急車を呼んだ直後、自宅で待機しておいて欲しいと連絡をしておいた。

救急車の中で姉に電話をし、私の夫と連絡をつけすぐに病院に向かうようにお願いした。

もちろん選択を迫られている話もした。

 

病院に到着すると、私は夜間外来の入口へ、母は初療室へと運ばれた。

私は救急車を振り返ったけれど母の姿は見えなかった。

ちょうど何かまた悪い兆候が出たようなそんな会話のやり取りが聞こえた。

 

今年また買ったロベリアのウルトラマリン

 

病院に到着して50分後くらい、ようやく診察室に呼ばれる直前、旅行先の父から電話が入った。

父に話そうか一瞬迷ったが、迷ってもいられない。

状況を簡単に説明して一旦電話を切る。

 

担当の脳神経外科の先生はとても丁寧に説明して下さった。

母は脳出血を起こしていて、簡単に書き記すと、

「命を救う手術を行いますか?行いませんか?」ということ。

 

さっきまで一緒にご飯食べてお喋りしていたんだよ?

なのに、命を救うか救わないかを決断しないといけないの?

今、ここで?

 

一人では決められないので、姉に電話をし、先生はスピーカーホンで私にした説明を再びしてくれた。

もうすぐ病院に到着するとのことで一旦電話を切る。

 

この決断はあと何分でしないといけませんか?

 

なるべく早く。

でも、今は前の手術が2件終わっていないので少し時間があります。

 

姉が到着するまでの間、今度は父に電話をして同じようにスピーカーホンで先生は再び説明をして下さった。

 

アンドロサセ スターダスト

手術をしても、もう今までと同じような生活は出来ない、と先生は言う。

手も振れないし、コミュニケーションはもう…と。

 

姉も父も、この段階で手術をしないという選択肢は無いと言う。

私は「お母さんは延命拒否と言っていたけど…」と一応口にするも、姉にも父にも「今はその段階ではないと思う」と言われたので、もちろん手術をお願いすることにした。

 

初療室にようやく通され、母と対面。

母は意識の無い状態だった。

私は母の腕や脚をさすって声を掛けた。

 

午後8時半ころ

手術室の前まで行けるのは、同意書にサインする私だけ。

最後に母の手を握ったのかどうかは覚えていないが、同意書にサインをして姉のところまで戻った。

もしかすると、生きている母を見るのはこれが最後かもしれないと、手術室のドアの前で思った。

 

手術の予定時間は4時間と聞いていたけど、結局終わったのは9時間後。

もう夜が明けていた。

 

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なぜこんな辛いことを書き記すかというと理由があるのです。

 

約2年前、ブロ友さん(と呼ばせて頂いていいのか…コメントのやり取りはしたことはないです)のお母様が救急車で搬送された際に、救急隊員の方に、

「延命拒否なのに、救急車を呼んだのですか?」

と言われた経験が綴られていて、それを読ませて頂いた時に、

私も多分こういう未来がやってくるだろうな、と思ったからです。

 

そして読ませて頂いてから、実家でランチ会の時にこの話をさせて頂き、家族みんなで考えることが出来ました。

介護や延命治療については時々議題にあがって家族で普段からよく話し合っていました。

ブロ友さん、その節はとてもお辛かったにもかかわらずブログに書き綴って下さって感謝しております。

 

実家家族とは普段からよくコミュニケーションを取っていたことは本当によかったと思います。

 

ブログでは上手にまとめられてはいませんが、よく話し合っていてよかったです。

boccadileone.hatenablog.com

 

手術に9時間掛かったけれど、まだまだ命の危機は脱してはいませんでした。

長い一日はまだ続きます。

 

𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。‪𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。‪𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。‪

 

救急車を呼ぶ時に気をつけること(私の場合)

 

【持って行くもの】

*保険証、お薬手帳、ペースメーカー手帳、(一応)現金、母のスマホ

*帰る時の母の靴(救急隊員の方に言われる場合もある)

*帰る時用の上着(この日は寒かったのでジャンバー)

*帰る時用の着替え(汚してしまっていたので)

 

*玄関のドアは鍵を開けて、ドアに靴を挟んで開けておく(すぐに見つけて入ってきてもらうため)

*出掛ける時は鍵をかけるのを忘れずに

*父、姉、夫に連絡

*普段から既往歴は把握しておくこと(スマホにメモっておく)

 

(*救急隊員の方からコールバックが3回あったけれど出られなかった。

*マンションの鍵がオートロックのため、マンション入口のオートロックの鍵を開けなければならなかった。)

 

 

𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。‪𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。‪𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。‪

 

毎日ご飯

母に作ってあげようと買った春菊としらすのパスタを、ようやく自宅で作りました。

父が春菊が苦手なので食べる機会がないため
春菊のパスタを作ろうと考えていました(4/28)

 

せっかくグルメで紹介された「和卵菓ららら」のたまご屋さんが本気で作ったパイせんべいと東京生カステラ

夫がお土産で買ってきてくれた(4/29)

 

柴ちゃんと刺繍

好きな音楽をかけ、好きな刺繍をする。

手を伸ばせば柴ちゃんがいて、ベランダでは今年買った大好きなお花がたくさん咲いている。

でも、全然集中出来ない。

こころ、ここにあらず。

ブローチにしようと刺繍をしたけど
なんだか気に入らないのでまだ仕立てていません

 

夕方散歩

先日とは別の日、また鯉のぼりを見に行きました。

ちょっと風があってみんな元気よく泳いでいました

 

最後までお付き合い頂き、どうもありがとうございます

発信するだけでお伺い出来ていなくてすみません

コメントもいつもありがとうございます!嬉しかったです!!

 

応援よろしくお願いします

いつもはてな⭐やひと手間をどうもありがとうございます

ブログ村からお越しの方々もいつも感謝です

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