見えない何かと戦うブログ 毎日のわくわくの正体

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延命拒否

2024年4月25日、午前5時50分頃

4時間の予定だった母の手術は9時間後、ようやく終わった。

談話室で待機していた姉と私のところへ執刀医の先生…「手術をしますか?」と聞いてくれた先生がポータブルで見られるCTの画像などを持って説明に来てくれた。

 

丁寧な説明で、手術に時間は掛かったけれどうまくいったようで、大人しそうな雰囲気の先生も若干興奮気味のように感じた。

 

その後、少しだけ面会出来ると聞き、姉と2人でガランとした広い脳卒中専門のICU(SCU)に入り、ベッドサイドに行き母の脚や腕をさすった。

母は人工呼吸器に繋がれていて、時々ピーピーと警報音が鳴る。

素人なので詳しくはわからないが血圧が低下しているように見えた。

広いSCUでは空いたベッドのほうが多かった。

 

ここはよっぽどの重症じゃないと入らない(入れない)らしい。

ここの後は、HCU(high care unit)を経て、一般病棟。

一般病棟に移れる日なんて来るのだろうか?

 

 

午前8時

ようやく私達は病院を後にする。

夫が前日に車を病院に置いていってくれたので姉を乗せていったん実家へ。

私は徹夜と疲れの影響でパニック発作が出そうになったけど、なんとか頑張って実家へ。

反対車線には通勤の車がたくさんで、こちら側が渋滞していなくてよかった。

長く新しい一本道がとても怖かった。

 

 

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柴ちゃんと夕方散歩

人に会いたくないので2年半ぶりくらいに森へ。

こちらの公園の駐車場へ停めて、森へ

 

男友達がここの森は怖くて入れないと言っていた

 

その友達が仕事でこちらの土地の調査をしたところ
曰くつきの土地だったそう
後で知ったらしい

 

確かにここで何かあったら
誰も助けに来てくれなさそうなので危ないなー

 

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実家へ戻って、私は汚れた衣類やソファのクッションカバーなどを洗濯したり処分したりした。

姉は入院の手続きの書類を父に代わって代筆していた。

父から連絡があり、山菜採りは取りやめて仲間と一緒に帰ってくると。

せっかく行ったのにとんぼ返りでお仲間に申し訳ない…

お世話になっているペンションのオーナー(お友達)が、急いでコシアブラを人数分摘んで持たせてくれた。

 

 

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森を抜けたところ。

人家はなくて、廃屋のような建物がある、ちょっと寂れた一角。

黒猫ちゃんと遭遇

 

道端でお昼寝をしていた猫ちゃん3匹のうち、2匹に追いかけられる私と柴ちゃん

100m以上離れた角を曲がったところにいた猫ちゃんに追いかけられ
喧嘩を売られる…

 

毛を逆撫でて怒って向かってくる猫ちゃん
めちゃくちゃ怖かった

どうやらここでこの時間、餌を貰えるらしく、それで怒っていた模様。

車が通っても道をどかないので、運転手さんがわざわざ車から降りて猫ちゃんを追っ払っていた。

道路はみんなで使うものよ

 

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午前11時過ぎ

自宅に帰り、夫が買ってきてくれていたミニヨンのクロワッサンをようやく食べた頃

病院から電話が。

 

母の血圧が下がっていて、その下がる原因がわからないとのこと。

循環器の先生も来て処置を行っているとのこと。

 

「延命措置についてなんですが」と。

心臓マッサージはしますか?

電気ショックは行いますか?

などと言われても、私の一存で答えは出せない。

 

「延命措置のお話はいつまでに答えればいいですか?」

と聞くと、

「なるべく早く」と。

父と姉に相談してすぐに折り返し連絡すると伝えた。

 

姉と私は手術直後に面会は出来ていたが、父はまだ母に会っていない。

父が面会をする時にまた私達は面会のチャンスがあって、その後もう会えないというようなことを看護師さんから言われた(これは私の勘違いではあったけど)

 

電話で延命措置の話が出たと言うことは、現在の母はよっぽど状態が悪いに違いない。

次に電話が来る頃にはもう最期かも…と思い、急いで父を連れて3人で面会に行くことにした。

翌日なら手遅れかもしれなかったから。

 

この日は夫が家で待機してくれていたので、夫の運転で病院へ向かう。

 

 

午後3時

担当の先生(3人1組で母を診てくれている)の一人が談話室で母の病状を説明してくれた。

その流れで延命措置の話も。

 

心臓や呼吸が止まった時……医師はこういう処置をする、と丁寧に説明してくれた。

人は亡くなる時にこうなって…こうなって…だからこういう処置をして…と順序立てて説明して下さった。

 

私は、

(わざとゆっくりとした口調で、

冷たい印象にならないように寄り添った口調で、

話しているんだなー)

と考えていた。

それが悪いという意味ではなくて、

たとえ、こういう説明が慣れていたとしても

それを悟られたら印象悪いだろうからなー

なんて関係ないことを考えていた。

 

父も姉も、すぐにキッパリと

「延命は拒否でお願いします」と言った。

私も意見を促され、「それでいいと思う」と言った。

それが現実に起こるかもしれないと思うと涙が出た。

だって、ついさっきまで一緒にご飯を食べてお喋りして笑い合っていたのだから。

 

先生はちょっとほっとしたように見えた。

かなり揉めるご家族もいらっしゃいます、とも言った。

 

担当医からのお話も終わり、ようやく父を含め3人でSCUへ。

母の意識は戻っていない。

父が母の首元を触るとちょっと動いた。

痙攣したような動き。

動いたけれどそれは不随意運動だと看護師さんに言われた。

 

最後かもしれないから、いつものように4人で写真を撮った。

私達はいつも4人で写真を撮る。

出掛けた先でも実家でのランチ会でも、私達はいつも4人で写真を撮るのだ。

 

 

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G.W

いつ病院から呼び出されるかわからないのでほとんど外出はしなかった。

でも、夫に申し訳ないので、お蕎麦を食べに行き、帰りに恋いちごを食べてきた。

左 季節の天ぷらと鴨汁と蕎麦とうどんの合盛り
右 いちごをまるごと凍らせてかき氷にした恋いちご

 

レジカゴバッグ作り

何かしていないと落ち着かないので、レジカゴバッグを余り布で作っていた。

タグを選んでいるところ

 

長文のところ最後までお付き合い頂き、どうもありがとうございます

4月25日以来、母には会えていません。

1日おきに姉が代表して病状を電話で聞いてくれています。

人工呼吸器も外れ、SCUからHCUへ、現在は一般病棟へ移動になっています。

が、意識は戻っていません。

明後日、病院へ行くので面会出来るかもしれません。

 

コメント下さった方々、いつも優しくして下さって本当に感謝しております🙇‍♀

まだまだ落ち着かないので、こちらからの訪問とコメントは控えさせて頂いております。

ごめんなさい

 

この10日、酷い風邪を患って寝込んでいました。

コロナの検査は陰性でした。

 

 

応援よろしくお願いします。

いつもはてな⭐やひと手間をどうもありがとうございます。

様子を見に来て下さった方々、ありがとうございます!

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