2024年4月24日
この日は朝から父が毎年恒例のお友達と山菜を採りに行く旅行の初日。
2泊3日の予定なので、24日の10時半、私は出掛けた父と入れ代わりで実家へ。
夜、母が寝るまで実家にいる予定で、翌日の朝も夫に協力してもらい、早朝7時頃に母の食事と薬の確認で行く予定だった。
私が薬を飲んだことを確認したら、次は姉が実家へ来て交代。
25日の夜は姉が実家へ宿泊し、翌日26日に父が帰宅するのと入れ替えで姉も任務終了の予定だった。
24日は、朝から雨。
本当は以前からボタン園へ牡丹を見に行こうと計画していたのだけど、とても外を歩ける天気ではなかった。
4月下旬なのに気温も13℃ほど。
先日作ってプレゼントしたブラウスを着て、ボタン園に行きたかったのだけど…
私は新しく作った試作品のリラックスパンツを持って行き、母にはいてもらう。
「うーん、このズボン太いから若い人向き。私じゃちょっと違うよ〜、う〜ん」
と、気遣いながら言葉を選びながらNGを伝える。
母が気に入ったら同じデザインのものを違う素材で作ろうと思ったけどお気に召さない様子。
「そっかー。じゃ、ちょっとデザイン考え直すね!
……お母さん、顔のシワが増えたねぇ〜」
と母の顔を覗き込む。
「メガネがないと自分の顔、よく見えないのよ〜
ホントだ!凄いシワだねぇ〜!嫌になっちゃうね〜」
と2人で鏡の前でゲラゲラと笑い合う。
ランチは雨だったので近所のフレンチのビストロ
自分ではメニューが決められない母なので、毎回私が選んであげている。
「お肉と魚介、どっちがいい?」と聞くと、
珍しく「魚介!」と言うので、魚介のランチのコースを選んだ。
母はイタリアンや洋食が大好き。
普段の食事は父が栄養バランスを考えて3食作ってくれているけど、滅多に(というかほとんど)美味しいとは言わない。
(父の料理が美味しくない訳ではない、多分)
外食すると「美味しい、美味しい」と言って食べてくれる。
母は、入口のガラス扉の向こうの雨を見て、何度も、
「ほら、雨が酷いよ」
と言ったり、
「雨、止んできた」
と言ったりしていた。
こちらのお店、この場所に移転する前に母は来たことがあったらしい。
そして入口のガラス扉の向こうの景色を見て、何度も
「私、あそこで働いていた?
なんだか覚えているんだけど…
この景色、見たことあるんだけど…
でも、思い出せなくて…」
と、もどかしそうだった。
「あそこでは働いていないけど、仕事で近くに来てたんじゃない?
ここは家から近所だよ。」
いつも2人で外食すると2ショット写真を撮るのだが、この日はお店が満席でかなり混雑していたので写真が撮れなかった。
ランチが終わり、私は母の夜ご飯と翌朝のご飯の買い物でヤオコーへ。
車で待っていてもらったのだけど、買い物が終わって駐車場へ行くと母が車から出てきちゃっている。
「お母さん、車に居てって言ったのに。どうしたの?」
「トイレ」
「さっき、レストラン出る時に行ったんだよ?」
それでも行くと言うので私も追いかける。
トイレでは、ちゃぽーんという音が響いていて、
そう言えば父が
「お母さんのうん●、どのくらい出てるのかわかんないんだよ〜。トイレ覗くわけにもいかないし💦」
と困ったように話していたので、私はその音を聞いて父に報告しようと思っていた。
父は母の健康管理に余念がなく、毎朝血圧や熱を計って記録していた(およそ10年前から。結構、記録魔な父)。
実家に戻り、私も母も疲れたのでお昼寝。
私は珍しく両親の寝室に布団を敷いて、ゴロゴロ、うとうと。
母はいつものようにソファに横になる。
午後2時半頃。
そして午後6時頃、母は救急車で搬送されることになる。
𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。
母が生きているうちに、ここまでのことを書きたかったのです。
誕生日会のことも、お花見のことも。
𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。
2024年5月1日午後8時30分
母は、生きています。
もっと色々な所に連れ出したかった
もっといろんなものを食べさせたかった
もっとたくさんお喋りして
笑い合って
手を繋いで歩きたかった
願いはすべて叶えてあげたかった
でもまだ
私にも出来ることがあると思う
今日の夕方散歩
夕方、急に気温が下がって寒かった。
この先のこと、書けたら書きたいとは思っています
書くことで少し気が紛れるかなと思ったけど、やっぱり辛いですね
コメント下さった方々、いつも本当に感謝です
お返事書けなくてごめんなさい
最後までお付き合い頂き、どうもありがとうございます
応援よろしくお願いします🙇♀
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