ホルター心電図という24時間心電図をつけて記録を取る検査を先日した。
9月に入り期外収縮(不整脈)が酷くなって、3週間ほど前に大きい病院の外来に行きレントゲンと心電図を撮ってきた。
その時にホルター心電図を予約して今回その検査を実施したのだ。
初診の日からずっと、私には解せぬ涙の訳を考え続けてきた。
初回の診察の時に、循環器の先生に日常生活で気をつけることは?と質問し「難しいけど、精神的にも肉体的にも疲れないこと」と言われ、その時私はなぜだか涙が出てきて止まらなくなったのだ。
自分でもすごく驚いて、それでも涙は全然止まらなくなって、
先生も「心臓のことすごく心配してたんだね。安心して涙が出てきたのかな」と言ってくれたけど、そうではなかった。
とりあえず診察が終わり診察室から出ても涙は止まらず、次回の予約の窓口でも、お会計の精算機の前でも、車に戻ってからもなぜだかずーっと泣いていて。
うーん、うーん、と訳を考えてもよくわからず…
傍から見ると何か重大な病気の告知でも受けたように思われたら、本当に苦しんでいる人になんだか申し訳ないので、心の中で(違うんだよー。私は何でもないよー)と言っていたのだけど。
先生に「まずは睡眠をよくとること。疲れないこと」と言われ、原因としては自律神経が乱れている時にこの不整脈は起きやすいと聞き、転じて私は「睡眠をあまり取れていなかったこと、疲れすぎていること」を指摘されたようで、ようやく認められたような気がしたのだ。
(あくまで先生の言葉を拡大解釈してなんだけど)
私は他人をねぎらったり、いたわったりはしているけれど、自分はねぎらわれているのか?いたわられているのか?と考えた時に、どうもそれは否なのではと思った。
多分その事実に気がつき、すごく悲しかったのだと思う。
それと同時に、朝早くから遅い時間まで夫のように働いてもいないのに、そんなに疲れるような日常を送ってもいないのに、動悸がして疲れやすくて昼間は眠い自分に嫌気がさした。
コロナになって4月に結構大きな喧嘩をして以来、なんでも我慢して言いたいことを飲み込んでしまう私は、察することが苦手な夫になるべくわかりやすい言葉で指示やお願いをするようにしてきた。
ついでに物事が終わったあとは褒めるようにもしてきた。
もともと夫は人から頼まれると嫌な顔もせずなんでも引き受けるタイプなので頼めばなんでもやってくれるし、学習能力があるので一度指摘すると必ずそれを守る律儀なところがある。
なのでそれ以来頻繁に茶碗も洗ってくれるし、週末は掃除機もかけてくれる。
私が何かしたら「ありがとう」もちゃんと言うし、ご飯は必ず「美味しい」と言ってくれる。
でも、ご飯を食べたら「いただきます」「美味しい」「ご馳走様」までがルーティーンのようになっている気がして(そのご飯がどれだけの苦労の果てに出来上がっているか理解していない気がして)、
何かしたら「ありがとう」まで言うことがワンセットになっているような気がして(その行為の裏側にある気遣いに気づいていない気がして)、
「とりあえずありがとうと言っているから問題ないでしょ?」と言われているような気がして、実感がこもっていないように感じていた。
それに、いちいちわかりやすい言葉を並べてお願いする毎日に私は疲れてきて(私はお願いすることが苦手)、夫が察することが苦手なのはわかっているけど、少しは周りの状況を見て頼まれる前に自ら行動してよと思うようになってきたのだ。
よりよい生活や関係性を築くために頑張っているのって私だけじゃない?
そういった気遣いの疲れや我慢が蓄積して、私は今回不整脈が出たのかなぁと思った(それだけが原因ではないけど)。
こんな風に一人でもやもやしていた時に、夫はまた私を2時間待たせる出来事があり、その翌日夜ご飯のことでなぜだか言い争いになった。
私はその夜家を出た。
その前のもやもやしたお話はこちら
病院に行った時のお話はこちら
毎日ご飯
*イワシの南蛮漬け
*えびとトマトのチリソース
*モロヘイヤのお浸し
*にんじんしりしり
*コーンと枝豆とマッシュルームのアンチョビバターソース
*即席みそ汁
*米(余っていたのでどうしても消費したかった)